アイロンかけは素晴らしい。それは静かな熱狂だ。冷えた水で醒ますこともできず、ただその熱によって滾ることを目的としている。
アイロン台に向かい、内に溢れる温かさは夢想の喜びを肯定し、その中心には萌芽がある。
ウェルギリウスの『農耕詩』を思い出して欲しい。
「またときとして荒野に火を放ち、軽い麦藁をぱちぱちと燃える焔に放り込むことは良きことである。火は大地に秘密の力ともっと滋味豊かな液を送り伝え、あるいは、大地を浄化し、その過剰な湿り気を乾かし上げることもあろう。また、新しい植物の根に樹液をもたらす地下の気孔と導管とを押し開くこともある。そしてまた、土壌を固め、余りにも開きすぎた水路を閉じ、過度の雨と太陽の焼けつくような光線と北風の凍てつくような吐息に対してはその入口を閉じさせることもあろう。」
我々は開墾の労苦を背負わされていることを思い出さなければならない。
田畑から離れてもなお不実な身体を耕すために、燃えない野火によって、身体を焼き尽くさなければならない。