2005-01-01から1年間の記事一覧

本田透氏はギャルゲーにおける視座が実は男性(主人公)側ではなく女性(対象)側に依拠しているということを明らかにし、むしろ我々が操作によって女性(対象)へと擬装すること(=乙女回路)こそがギャルゲーの本質であると喝破している。つまり我々は自…

紀伊国屋ホールにて開催された『波状言論S改』刊行記念トークセッション「ゼロ年代の批評の地平 ―リベラリズムとポピュリズム/ネオリベラリズム」に参加した。さしたる展開もなく質疑応答も下らなかったこのイベントにおける数少ない見物の中でも象徴的で…

「夜」の後に「朝」を興すための不完全なメモ 肉体/オブジェに内在し客体=対象の共犯として憑依された「格」たる主体は既に他者である ↓ 等しくその秩序において連帯している、その相互作用の潜在的合意に成立する他者の擬人化を止揚したのち放逐 ↓ 新たに…

文学は優しい。しかしその優しさは舌根も痺れる程に甘ったるい死に至る病でもある。確かに文学は常に可能のものであったはずだ。しかし文学の優しさにかまけ、加速度的に生の消費を早めている昨今の状況は文学が凡庸な女であることを図らずも露呈してしまっ…

激しく荒ぶる感覚も一時もすればやがて失われるように一切が我々から一方的に奪われるのなら生の余韻によすがを認めることは出来ない。我々は生によってささやかな場すら提供されることなしに前方へと落下している(導出されている)。白日に晒されてきた後…

一般的な、愛を達成できるとの根拠の希薄な思考は必然的にその愛を断念せざるをえなくなる一因となっている。また、一時の暇潰しとしての愛の使用も、その達成を留保しておりボルヘス的円環から脱け出す一助とはならない。彼らは泡沫の間に狂気の夢を見てい…

我々は偶然にも身体に魅了されている。しかし巧みに配された四肢に違和感を覚えることはないだろうか。我々はそれぞれ世界を侵犯する暴力装置としての視座を有する。それは構造上、対自的ではないものの唯一鏡と対峙したとき我々は己を視ることになる。鏡を…

ここにあまねく見つかる言葉がある。それは単位、そして旋律、吟誦の断片である。淫靡で好ましい不潔さを振り撒くこれらの言葉は売春婦によく似て吐息を吹く。それでいて我々に与え返させず実に小気味よく物語を苦悶させ、それゆえ物語は絶えず不動のもので…

まずもって我々は「見る」ことなく「見られて」いるのではないか。私が意欲される限りでなく、むしろ発意することなしに節操なく発現していることに「主体」の暗い経験が洞察できる。我々の視線が流れ込む光に逆行し過去しか見ぬうちに、その視線は密やかに…

エディ・ゲレロが急逝した。彼のよく知られていることを改めて紹介することはしまい。彼は偉大な、一人の、プロの、レスラーであった。今は喪に服そう。言葉は軽く、そして薄い。認めよう。死に対し言葉は信頼するに足りない。彼の死さえ出来事的性格を付与…

魂なるものがあるとして果たして魂に「性」差はあるのだろうか。仮に魂がアンドロギュノスであったとしても魂でさえ「性」に隷属するものなのか。するとなると「性」は特質なのか、様態なのか。もしくは体系なのだろうか、記憶なのだろうか……。しかし「性」…

一度整理しておこう。「夜」の断片の「夜」は「全ての牛が黒くなる闇夜」のことではなくブローデルの言葉による「夜」である。もっともブローデルの規定によれば「夜」とは「東部地中海が歴史のゼロ平面、ないしほぼそれに等しいものに回帰する」ことではあ…

例えば「赤ん坊はかわいいフリをする」。我々はこうした独特の振る舞い(フリ)に遊んでいる。では、振る舞いに我々は収斂されているのか、もしくは振る舞いから我々は抜け落ちているのか。いや、こうした振る舞いこそが我々を指示するものだ。遊戯にこそ我…

私は何事かを知る。しかし何事にも拠るべき処を私は知らない。 言葉は対象に辿り着くことなく産まれながらに予め息絶えているのか。 自己が私に止揚されている限りにおいて私は世界的であるが私は所有から逸している。 世界は充溢している。いや、私によって…

ホッブスは人間相互の不可避的な戦争の源泉を形作っているのは人間の平等=同等性である点を強調することを怠っていない。従って“自然に同一な者たち”には万人が平等な確信をもって脅威と感じる法則が必要となるわけである。その法は、彼らがお互いに対して…

Marc Mellitsを知る。素晴らしい。多くは語られない、しかし彼の音楽こそ新しい。

人は追従する一定の事物にそのつど向かっているのであるに過ぎず、世界に注意を払わない。人は世界に存するが世界を目指して生きないのだ。世界は遊ぶ主体を欠いた遊びといえる。自己は個を個によってのみ囲い込むことで個をパーソナルな局地的な場として保…

原初への志向に我々はノストスを思っての苦痛で苛む。過去は意欲された限りにおける意味作用に他ならず、その価値とは未だ達成されていない何らかの意味である。確かに意味作用しなければならない、だが過度にではない程度において。重要なのは志向を調整す…