2006-02-01から1ヶ月間の記事一覧

ジョルジョ・アガンベン「残りの時」 戦争においては、敵の都市は力づくで打ち負かされ破壊されて、その住民たちは殺されるか奴隷とされるのかが通例であった。しかし、これとは違って、弱いほうの都市がデーディティオー・イン・フィデム〔敵方を信じての降…

ル・クレジオ「愛する大地」 たまたま地上にぼくは生まれた。生ける人間としてぼくは大きくなった。デッサンの中に閉じこもって日々が過ぎた。夜々が過ぎた。ぼくはああした遊びをみなやってみた。愛された。幸せだった。身ぶりを入れ、わけのわからぬ語を口…

私が予め他者=あなたであるようにそれぞれが私であるところの等しさに加え、他者は私ではないという不均等が私自身の世界観の動機となる。しかし言葉によって置き換えられた私はその点において他者から一時的に勝利を収めたに過ぎない。しかも言葉は事物を…

マックス・ピカートは子供の魂への粗野な闖入を諌めるために以下のような事例をひいているが、このことは子供に限った話ではなしし「死」に対して優れた一つの態度だと確信できる。「語る」ということによってさえも望む事物に繋がれるということを忘れては…

メモ・論理はその人間性から乖離してあるが、言語は人間性に密接であるがゆえに言語と論理の非整合性は狂気を生む。 ・社会的な出来事としての芸術は関心を強いかたちで乞い、要求するが、個人的な出来事としての芸術は関心を方向づける。 ・私は私である限…

一切を許さない独特の黄昏の中に夜毎の帳が音をたてず静かに降ろされた。人がいなくなって何度目かの夜であった。冥福を祈る者さえも絶えた街は身持ちの固い女のようにかろうじてうわべの様相を保つにとどまっていた。往来からは、たまに崩れる壁で悲痛な鳴…