2005-11-01から1ヶ月間の記事一覧

我々は偶然にも身体に魅了されている。しかし巧みに配された四肢に違和感を覚えることはないだろうか。我々はそれぞれ世界を侵犯する暴力装置としての視座を有する。それは構造上、対自的ではないものの唯一鏡と対峙したとき我々は己を視ることになる。鏡を…

ここにあまねく見つかる言葉がある。それは単位、そして旋律、吟誦の断片である。淫靡で好ましい不潔さを振り撒くこれらの言葉は売春婦によく似て吐息を吹く。それでいて我々に与え返させず実に小気味よく物語を苦悶させ、それゆえ物語は絶えず不動のもので…

まずもって我々は「見る」ことなく「見られて」いるのではないか。私が意欲される限りでなく、むしろ発意することなしに節操なく発現していることに「主体」の暗い経験が洞察できる。我々の視線が流れ込む光に逆行し過去しか見ぬうちに、その視線は密やかに…

エディ・ゲレロが急逝した。彼のよく知られていることを改めて紹介することはしまい。彼は偉大な、一人の、プロの、レスラーであった。今は喪に服そう。言葉は軽く、そして薄い。認めよう。死に対し言葉は信頼するに足りない。彼の死さえ出来事的性格を付与…

魂なるものがあるとして果たして魂に「性」差はあるのだろうか。仮に魂がアンドロギュノスであったとしても魂でさえ「性」に隷属するものなのか。するとなると「性」は特質なのか、様態なのか。もしくは体系なのだろうか、記憶なのだろうか……。しかし「性」…

一度整理しておこう。「夜」の断片の「夜」は「全ての牛が黒くなる闇夜」のことではなくブローデルの言葉による「夜」である。もっともブローデルの規定によれば「夜」とは「東部地中海が歴史のゼロ平面、ないしほぼそれに等しいものに回帰する」ことではあ…

例えば「赤ん坊はかわいいフリをする」。我々はこうした独特の振る舞い(フリ)に遊んでいる。では、振る舞いに我々は収斂されているのか、もしくは振る舞いから我々は抜け落ちているのか。いや、こうした振る舞いこそが我々を指示するものだ。遊戯にこそ我…

私は何事かを知る。しかし何事にも拠るべき処を私は知らない。 言葉は対象に辿り着くことなく産まれながらに予め息絶えているのか。 自己が私に止揚されている限りにおいて私は世界的であるが私は所有から逸している。 世界は充溢している。いや、私によって…

ホッブスは人間相互の不可避的な戦争の源泉を形作っているのは人間の平等=同等性である点を強調することを怠っていない。従って“自然に同一な者たち”には万人が平等な確信をもって脅威と感じる法則が必要となるわけである。その法は、彼らがお互いに対して…

Marc Mellitsを知る。素晴らしい。多くは語られない、しかし彼の音楽こそ新しい。