隣県に行く機会があったので、遅ればせながら『シルビアのいる街で』を観てきたわけである。『Tren de Sombras』や『Innisfree』』などの他の長編と比べて、ドキュメンタリーとしての体裁がなりをひそめてもまだリアリズム(オートノミーである「街」という…

鑑賞から日をおいたので、ようやく少し落ち着いて考えられるようになった。『シングルマン』においてはもっぱら美−意識の高さについて褒めそやされているわけだが、なるほど知識人である主人公と周りの調度は流々にモダンで、彼の出自(タンカレーやブリッテ…

誘われるままにはじめました。よしなに。 https://twitter.com/#!/FarmerInDanube基本的にはブログ中心ですが。

実は『ザ・ワールド・イズ・マイン』を読んだのが、今年の夏のことで、我ながら今さらと思いつつも、やはりその時は強烈な個性にあてられ、最後の場面に『EDEN』を連想したり、せいぜいボードリヤールの『悪の知性』を読み返して、「かつてはホメロスととも…

紹介した動画はどちらも、マルレン・フツイエフが監督した『IT WAS IN MAY』の部分だが、特に本編のエンディングにあたるMELODY of PEACEと題された動画の中で、ふり下げた手をカメラが発見し、そのまま、その手が虚空へと押し込まれる先へ、ネガの上をなぞ…

ドラゲーを観に行ったり。全日を観に行ったり。

アルベルト・セーラの『crespià』を観る。音響に対する真摯さ含めてセンスは煥発だけれどもなんだか荒削りで、まるでホームムービーに向かうときの気恥ずかしさ(ホセ・ルイス・ゲリンやハルーン・ファロッキ、ペーテル・フォルガーチらがホームムービーとい…

ベーネの『ラフォルグによるハムレット』を流し観ながら、フェリーニの『魂のジュリエッタ』を観ていたら寝落ちしてしまったのが昨日の話。今日は残りを観る。筋立てとしては夫の不倫に悩むジュリエッタ・マシーナを据えればそれだけで事足りる。このやたら…

聞くところ評価の高い『Zhena kerosinshchika(灯油売りの妻)』を観る前に、オムニバス映画『Songlines』から、Aleksandr Kaidanovskyの監督した『For a Million』を観る。ブルース・チャトウィンの思い出に捧げるという一文から始まる(『Songlines』はま…

ついにウテナを観終えたので昨晩から誰かに褒めてもらいたい気分。 青森最後の詩人ひろやーを見つけて、思わずRichard Youngsを思い浮かべた。名曲である『The world is silence in your head』、『Wynding Hills of Maine』ともに、メロディをリフレインし…

『ウエディング』と『パピヨン』を観る。前者はマルチチュードの素朴さ、そしてその滑稽さ。後者はドルトン・トランボの脚本のそつなさによる。

『ゆれる』と『秋津温泉』を観る。少なくとも、モダニティとの相克という点で、「近代」にコミットしていく姿勢はもう限りなくお約束に近いものがあるのだけれど、ただし制作の時期を考えても、手管の少なさが前者の分を悪くしているように感じる。家族にし…

ようやく明るい機内から宵闇のふかい底を覗くのでした。奥行きのなさにもう目が慣れません。ときおり点在する光が郷愁を誘います。あの瞬きは有史以来だれかが見ることのできた光だったのでしょうか。むしろ人はほの暗さより低く、かけられたショールの重さ…

ふつうに。FRANK LEDERのスモーキングジャケットがお安いぜってんでかなりほだされるんだけどもなにせ体型の都合やらなにやらで二の足をふめば使い勝手で買うんじゃないよとか諭されてやっぱそうだよなあとか思ったりしつつやっぱり人様に見せるもんだからと…

Carmero Beneの「Salomè」まるで惚けを伴うエロチシズムの膨張と質的な豊穣さ(≠過剰)、その成果は圧倒的である。健全な欲望。音声と視覚の非合理的切断の可能性が、この作品においては目覚しい色彩で開示されており、いわゆる牧人劇の平凡さと異なるのは、…

Jean-Daniel Polletの「Bassae」と「Méditerranée(邦題:地中海)」題をあとから引いたので、鑑賞中にその名が兆すどころか、鑑賞後も地中海のイメージは先行しないままであるわけだが、ただ良くも悪くも現在の汎ヨーロッパ的な映画の傾向と逆行した試みで…

コスタ・ブラバのカラ・モンジョイにある美しい入江を読みながら、投げ打ってあったフランスパンを捻るようにしてちぎって右の奥歯で噛むものだから私の額は左右の均衡を保たないのだ。エポワスの熟成がその内部で均等でなくわずかばかりの芯を残して流れ出…

「パリ・オペラ座のすべて」 たゆまない解釈と研鑽によってエモーショナルに練り上げられた純粋な肉体は偽りをつくことができない。禁則と前例を参考にして、踊ることで収斂されていく、緊張と弛緩がゆりかえす所作の積み重ねは、過去の運動の復調を明るくき…

「ベルリン・天使の詩」を観る。今日が昨日のような日であり、明日も今日であるような連続性の感覚を前提としている都市、ベルリンの日常。人間に天使が寄り添う街。一方は栄光の、他方は肉の、二つの身体は区別され相互に属しあう。天使達が人間をやさしく…

だんだんと見ることそのものの遅さに耐えかねている。単なる正しさに感けないためのすべとして。 もの自体が持続していく、あるいは認識=手に撚られたもの自体の細々さよ。 自然に対して、引き延ばされた無限の距離が置かれなければならない。「私」が後退…

サンタ・ルチア・ディ・シニスコラを訪れる前に。

フロマンタンの云うところの「より熱気のある感受性のかすかな粒子」が仕立てる何某を「より」低い意匠へと組みかえること。決定的なものの印象を受け付けない、現象の撓みとつかの間の実現、すなわち遊びの部分を自立可能な(抗する)限りで最大化する瞬間…

夜になればなるほど、似ることを強いられている気分。 強度よりもしなやかさ弱さが志されたいね。 まるで撮りこぼせない程の小ささに、汲み尽くせないゼロに至らない弱さが。

こころ否ことば否さや異土に吹く風もの冥き人軆ぞ 秋

夜もすがら枕〈ま〉きこし石根〈いはね〉たもとほり秋鹿〈あいか〉さりゆく挟霧〈さぎり〉こめたる 月魄〈つきしろ〉かにほひに疾〈や〉める朝日窓繁〈し〉みさびたてる泰山木は 夜べゆきの山のきほひにねむらざる汝れもや鷹の瞼皮〈まかぶら〉 さめむとしつ…

すべてを隠す夜にも河が流れていることにいちいち驚く日々だ。 仕事から帰ると、ホジェリオ・スガンゼルラのDVD(『赤い光の盗賊』)が届いていた。 日中はまだ冷めやらぬが、夜は近頃また一段と冷え込んできたように思う。 そういえば、先月旅した北陸の海は…

花火を見て、およそ一年ぶりの花火を憐れむ。 たかだか三千の斑みさえも死別の先触れを送っている。 蒼穹を滑り落ち、その明滅する彩なす廻転は、その切っ先にてぞ見限られて、せいぜい端境を焚くのに徹している。 大気にさらわれる一片。坊やの手に作った窪…

平凡さに立ちつくすことがどれだけ難しいことだろう。 あるいはその言葉さえ憚られるような顛末。償いのやり方。その打ち明けた内容。 未知への痕跡をたどって、反復するてらいなさ。あからさまな平凡さ(希望)に応えること。 それと見て分かる露悪さ(平凡…

ひととせにくれて手ずから夜半をかきわけ 氷菓のけばだちと景が重なるただの身の上 指をつぶってあやすひとひら手の結び

シャルナス・バルタスの「seven invisible man」他が届いたので流し観る。受け手の感覚(とりわけ聴覚)に忠実であろうとする姿勢がここにきて一寸変化しつつあることにとりわけ驚きは感じなかった。 不在の身の上はただ自らの非固有性を顕示するのだから、…