2005-12-01から1ヶ月間の記事一覧

本田透氏はギャルゲーにおける視座が実は男性(主人公)側ではなく女性(対象)側に依拠しているということを明らかにし、むしろ我々が操作によって女性(対象)へと擬装すること(=乙女回路)こそがギャルゲーの本質であると喝破している。つまり我々は自…

紀伊国屋ホールにて開催された『波状言論S改』刊行記念トークセッション「ゼロ年代の批評の地平 ―リベラリズムとポピュリズム/ネオリベラリズム」に参加した。さしたる展開もなく質疑応答も下らなかったこのイベントにおける数少ない見物の中でも象徴的で…

「夜」の後に「朝」を興すための不完全なメモ 肉体/オブジェに内在し客体=対象の共犯として憑依された「格」たる主体は既に他者である ↓ 等しくその秩序において連帯している、その相互作用の潜在的合意に成立する他者の擬人化を止揚したのち放逐 ↓ 新たに…

文学は優しい。しかしその優しさは舌根も痺れる程に甘ったるい死に至る病でもある。確かに文学は常に可能のものであったはずだ。しかし文学の優しさにかまけ、加速度的に生の消費を早めている昨今の状況は文学が凡庸な女であることを図らずも露呈してしまっ…

激しく荒ぶる感覚も一時もすればやがて失われるように一切が我々から一方的に奪われるのなら生の余韻によすがを認めることは出来ない。我々は生によってささやかな場すら提供されることなしに前方へと落下している(導出されている)。白日に晒されてきた後…

一般的な、愛を達成できるとの根拠の希薄な思考は必然的にその愛を断念せざるをえなくなる一因となっている。また、一時の暇潰しとしての愛の使用も、その達成を留保しておりボルヘス的円環から脱け出す一助とはならない。彼らは泡沫の間に狂気の夢を見てい…