2006-01-01から1年間の記事一覧

ジャン・ドラノワの「田園交響楽」のあるシーン。長年盲いた眼に光を宿らせたジェルトリュードは病院を早めに退院し、初めて視る、馴染み深い教会を訪れる。折りしも賛美歌を指揮していた壇上の牧師は不意に現れたその姿を見つけると歌を止めさせて、皆に説…

どうしても少女はここにおり、こことは肉体であり、肉体は私で、常に人間だった。ようやく暮れやすい一日で、ここから見える濡れしぶき滲む砂々のうえに、星を追って流れる、同じ原因によって生まれた子供たちの列の先は今宵かなしく見えない。ここに何とし…

子供の時分で、まだ残照をたたえた庭に、口角を広げ、両手を高く掲げて飛び出でて、奥に見える暗い山に、風鈴がひとりでにそっと鳴る。軒先から漏れる蛍光に照り返る、慣れないゴムの臭いに、冷えた水を隙間なく張って、独り、諦観のくだりはそのままにして…

見初められた日のこと あるいは君の名を うすらいも溶ける春の後先に ここはいま少しだけ空が高い 手をのばし 灯りを消しながら 君はそうして久しく微笑むつもりなのか(basilides「一夜」)

「ドイツ・青ざめた母」では戦争を通してドイツ女性の気丈さが描かれるも、むしろそれゆえに恥辱にまみれながらも悲壮さが伺えない。70年代の女性運動を牽引したヘルケ・ザンダーらが西ベルリンにおいて第一回国際女性映画ゼミナールを催したとき、その上映…

いま、こうして昨日に及ぶ一切は了解的な関わりによってこそ全体ではあったが、変わらず以前に瀕しているようにもみえた。行くほどもなく、弧でなく、左右の消えたはすかいの先で一人、悲しげに疲れて、色彩の貧しさを見下ろしても、新しい眺望を望むべくも…

シュテファン・ゲオルゲ「良心の探求Ⅱ」 汝は愛することを治さねばならぬ。さうすれば汝は愛さるることからも治るであらう。行け!平静な心で憎しみもなく愛もなく、人生を通って行け。途上の樹木に突当ることなく、砂利の上に躓くこともなく。自己を唯一人…

聖なるものが一方的に彼方である以上、その絶対的な「距離」という、断絶あるいは宗教的現象は政治という一定の現実と結びつくときに公の運動として関心を方向づける。存在がそれ自身の限界でわが身を損なってこなかったといえばそうともいえないように芸術…

乳房を、三つより少ない、まだ数えられる、乳房を、自ら晒けだす、はだけて、目の前でしか、女どもは、本当に大笑いだ、その滑稽な、お分かりの通り、おがくずを詰めた、かたちを見過ごして、左右に分かれた、ようやく膨らんで、あるいは目を背けて、その顔…

乳房を自ら晒けだす女どもは愉快なことに、その滑稽なかたちを見過ごして、その顔はいつも慈愛に満ちているが、今ここに、塵埃にまみれたその道の片隅、微醺に痴れたか、満面に朱を注ぎ、悲しさの寒さに心をやつして、しどけなく肢体を晒す彼女はそれと見て…

すれ違い。足音。南から。滴。滴。滴。頬張って。曇り。またしても。路地。傘。回る。右に。左に。例えば。哀しい。子供たちは。諸々の。なければ。必ず。彼に。彼女として。一回転。そうすれば。今。今。未来に。願わない。いくつかは。たくさん。どれ。な…

小高く、妊婦の腹ほどに固い春土に突き刺す十字は君を横に支え、上下を縦に支えている。生きている。そんなか細い釣り合いのなかでは二人は愛せず、いきみを惜しんで一つの身振りが否応無しに互いの注意をひいたが、遂に残される者が別れを生きる過程の始ま…

夕暮れではない。午後でもない。誰もいない。誰も踊らない。宙にくゆる紫煙の影に音はすっかり覆われて、立ちのぼる匂いはいち早く色に混じり込む。そこかしこで物自体は苦悶していた。また、それゆえに不動であった。窓の外で降りしきる意味に庭の根空木は…

夜の掟からかけ離れ、部屋に入るなり窓。枯れたベゴニア。その葉ごもりの深き影の跡を風が吹き払い、私をこそ吹き寄せた。窓に世界を領す闇が垂れて、暗さを持たぬ光はなく、奥行きに不均等な光は幅に広く均等に鞣された。私は自分の上に屈みこみ、その沈黙…

祝祭に熱い陽は高く掲げられ、狂熱に沸く中央の通りでささやく足許の妙な調べに踊る乳房は折にふれて投げかけられる眼差しも介さず、ただ左右のあいだの区別だけが今もなおみどり児の任意に委ねられている。この道また道も権力を示す線条だ。個人に使役され…

最近の裾野の広がり具合に比例してか「オタクとして幸せになるには」と考えられる風潮になってきた。特に若年層に支持されてであるが。オタクを小乗仏教に結びつけようが何しようが個人の範囲で救済に役立つなら好きにしても良いと思うのが、ただやはりオタ…

世界は明るく、ますます遠のいていた。言明されることのできるすべてのことは、あらゆる未来性を剥奪されて、その残滓を人々が我先にと争う。前時代に獲得された習慣や、希望や、感情は埃を被っているか、あるいは絶滅していた。歴史に絶望して人々がそのほ…

Aと付き合うことでA以外と付き合う可能性を狭めてしまう躊躇いと、現段階でAと別れることの口惜しさが同等の均衡を保つとき、その状態は幸せと形容できるだろう。つまりは人と付き合う術よりも別れる術、とりわけ関係を発展させない術(情感をいなす技術…

言葉が傍を通り抜ける。その関係に情欲を介さないとき智慧が芽生えるはずだ。もっと効率よく感情を揺らす術を学ばなければならない。物語の唯一優れた特質は一応の真実であることだ。

巻き垂れて、窓辺は閉ざされたままで、招かれぬ風は季節に似たさざめきを窓の外で不穏に奏でている。不安。それは少なからず外にあるだろう世界の残りの全てより堪え難いもので、内に開かれた窓はそこに固有な外として、薄く、光のなかに経験されていた。経…

静物は名伏しがたい兆しを孕み、常に為されること以下の存在である。他律から切り離されたそれは無気味に事実を超えて、蒔くべき種を粉に挽いてしまっている。それぞれのべつなく典型的な外部として、静物は中身のない墓標のようなものである。また静物は一…

「Til eru fræ」(「種」)Til eru fræ, sem fengu þennan dóm (地面に落ちて、花にはなれない) Að falla í jörð, en verða aldrei blóm (ことが運命付けられた種) Eins eru skip, sem aldrei landi ná (陸にたどりつくことができない船)og iðgræn lön…

ポール・ヴァレリー「彼(ドガ)は常に、ミューズ達は決して彼女達の間で議論したりなどしないといふことを言つて居た」

悪という言葉を字義通りに解釈できないことを我々は知っている。一般的に社会的経験の個々のコンテキストにおいて与えられる与件がその経験を解釈する仕方を決定し、類型化は現在の経験に対しての根拠を与えてくれる。したがって悪は言語によってその本来的…

記憶が識別不可能な必然性のすべてである。これがあらゆる前提となる。これにより記憶することが記憶される内容に優り、共同に同一事を記憶するとき、その開示性が記憶の意味のなかに既に不可能的な形で含まれる。記憶によっては自然に自らを啓示し、そして…

望みにみちた思いとして救いはいつもささやかな釣り合いのうちにあり、眼に見える限りでの最上の釣り合いとは自身の身体性に釣り合っていることだ。今でこそ自由に疎外されるが、既に身体性に接続したとき、我々は自由になったと感じたので、それから先を要…

「セブンス コンチネント」を観て「何故R氏は発作的に人を殺したか?」を思い浮かべ、俳優の顔をなるたけ映さなかったのに納得する。冷たい憤怒の果ての悲劇も似ている。しかしどちらの暴力性も物語に執着しないという姿勢において感心できない。共時的な感…

他者の擬人化を止めるためには‥‥と以前書いた。擬人化は客観的にただ存立する像をあまりに理想的に描写する。最高の意味において自然であるために。しかし、まさに自然であるがために、我々はその操作を掴むことが出来ない。擬人化は定められた個性の原理を…

始まりは、始まりの勃発にして、また始まりの解決として、終りを誘発せしめる流謫の世界に余韻をとどめ、それなしには有限の事物に逢着することもない現象の躓きである。始まりの痕跡はいよいよ白々と明けそめゆく意識と感覚の予感にして、ある種の作為的な…

ファスビンダーの「何故R氏は発作的に人を殺したか?」ついて二人の談話を紹介しする。まずヴィルヘム・ロートは「悪い映画。俳優が即興で語るダイヤローグは、月並みなありふれたものなので、聞くだけでもほとんど苦痛である。ある種の抑圧のメカニズムは、…