2007-01-01から1年間の記事一覧

山川に雲がさして新緑は濛濛としてゐる。人々は方方につどい、大変擾いでゐる。なんと灌漑の行届いた田野であらう。己は松の下なんかに立ちいで、こんな手合と雑談する。珍しい口碑をうつつなに聴く。のッぺりとして表情もなく、己は女を娶ったのだらうか。…

カントールは死の演劇宣言において曰く「演劇が衰退期に、生きた身体組織の法則に屈したのは、演劇が生の模倣という形式、すなわち生の再現と再創造という形式を受け入れたが故であり、演劇が諸制約から自由になりうるだけ十分に強固で主体的であったとき、…

アフタヌーン12月号の幸村誠「ヴィンランド・サガ」は出色の出来であったけれども、それはやはり劇中の愛を巡る対話によるところが大きい。幸村誠は前作の「プラネテス」においても愛について問うていたが、それをさらに発展させたカタチといえるのだろう。…

これは自分への戒めとして。 今までそれこそ見識を広げるために努力してきたし、またそれなりに残るものがあり、それが悦でもあったはずだった。それは見識の広さ――「それ知ってる」や「こういうのがある」と他者に衒うことができるようになることこそが力(…

一握を砂もて幾舞い知らず、 たま散らす二重の遊絲にて、三歳に寿ぐ丈の髪。 四方は積みわらの外なるべく入日を洗う五尋。 睦月のかさは軒端に彩なし、遠近の斑は七谷端こそ。 哭かしつつ重んもりせる八女の業、埋火の傍は朱の薄様。 冬青は九重の日相にして…

サム・ペキンパーの「わらの犬」は前半と後半のギャップがとりわけとりざたされて、このカタルシスこそが褒めそやされている。しかしバイオレンスを持ち味としたペキンパーの技量はむしろ前半の丁寧な心理描写にこそ表れていており、ダスティン・ホフマン演…

薄暮は常の日に断ち朱面をこそ澪の斑。 並みたち垂る影の折々は骸萎の葉の一群毎。 とぼそけき足の音の佳の来。 上ぬるむ面より際に垂れ曳くまどかなる先触れ。 昨のかげに彩も濃き布く流るる紗よ。 軟風にても熟えて落ちたる背の朱唇かも。 ※かわたれはつね…

語る な、かよはき ものよ、 そ してお前、 夜の 巴旦杏の やうな、夜 の闇の中なる 婚配の香り よ。 あらゆる砂 浜にさまよふ、 あら ゆる海に さまよふ者、優し さよ、語るな、 して、お前、私の鞍の 高みに 翼装ほへる現存(もの)よ。 (サン・ジョン・…

想念に遊ばず、夜に目を伏せ、私の足取りは距離を残して世界をどんどんと小さくする。躊躇われたのは、いくらかの家があるほとんど一つの食卓に、目の高さを後景へと退け、片方の部分を―かれと呼び、その視線の外れた一枚、二枚の透過性、あるいは許される限…

ローベルト・ヴァルザー「散歩」 わたしは、気持ちのよい、よろこばしいささやかな散歩をしたのだが、それは足どりもかるくこころときめくものとなった。村を通りぬけ、谷あいの小径といったところを進んで森にはいり、それから野原を越えふたたび村にはいっ…

地に行き止まる 青 酔え 水辺に 背のほくろ たった一人だけの 息が白く 二歩 なだらかな勾配 許しがたい いよいよ ひばり 語らしめて 手と 手 手 と手 のぞけば 影が小さくなる 小さくない 小さくなった 雨 沈丁花 対になる彼女 誰か 愛さざること ついに 雨…

共時のなかで期待のかたちに拡がる内外へのとりなしを結び被さる土の音が晩い宵闇の果つる高さと等しくなるとき寄る辺に沈む足先にまるで距離が足らずしていま一つの場所に押し黙られねば舌も結わい石さえも語られない。係累はそれぞれに脅かされて私はしか…

カスパー・ハウザーについては今さら論を待たないが、ヘルツォークの「貸すパーハウザーも謎」を観て思いつくのはホロコースト(ラテン語、ひるがえってギリシア語で「丸焼きの犠牲」を意味するこの語は不適切なのかもしれないが)下における回教徒である。…

コリウッド(Kollywood)は南インドはチェンナイ(旧マドラス)のコダムバッカム地区を拠点とするタミル語映画の通称。トリウッド(Tollywood)は下北沢の短篇専門の映画館でもあるが、一応インド東部のハイデラバードを製作の中心とするテルグー語映画の通…

それはある日、もしくは夜であらねば。燭台をふり、一人でにこの夜をはじめて、つまづきの石によろける彼女の知らない何らかの理由によって彼女は転がるの人。彼女の、あるいは往々にして転がられるだけの彼女は以下を欠いて、経験しているのはまさに転がる…

乾いて重いばかりか沈む水に息ができず、点いたテレビさえ空がようやく低いのに、私も息だけが白いまま、天井が冷たくて、ちょうど朝なわけだという。まずは花が挿されたので枯れてはいない挿さる花は転がらない限りの硬貨と摘まれている花によって等価で、…

ただ待つばかりの感動に醒めてしまい、笑うという事実は動かしがたいのに笑うに堪えない。 愛せぬものを失うことは不幸ではないはずだ。 優しくされることに馴れたいが、せめて善意に自覚的でありたい。 偽善者になること。そして関係を諦めること。つまり、…