おまえが死んでしまったということは どういうことだろう
あの薔薇の籬にもどってくることのないおまえ
世界を盗んだつもりのぼくの手に ひとすじの髪の毛だけがのこり
ぼくのものだった時間は すっかりながれだしてしまった

ただそれだけのことだったろうか
鏡のようにぼくを映していたおまえの
背後にいっぱいだった夜が いま
壊れた焦点の奥から 霧のように溢れてくる

いまぼくはまるで 裏のない物体となって
壁にきらきらする鋲でとめられている 内がわで
あんなにゆたかに光を屈折させることのできた ぼくが

ただそれだけの変化だったろうか……おまえの肉はさらさらとした灰になり
ぼくは影のようにひっそり生殖して やがて
固い方形の部屋になるだろう そうして二度とぼくはぼくをみることがないだろう

田中清光『黒の手帳』