ついにウテナを観終えたので昨晩から誰かに褒めてもらいたい気分。
青森最後の詩人ひろやーを見つけて、思わずRichard Youngsを思い浮かべた。名曲である『The world is silence in your head』、『Wynding Hills of Maine』ともに、メロディをリフレインしていながらも、前者は同一のフレーズをピアノに合わせて、後者はギターの伴奏で唄っているのだから、『新町』は双方の合いの子といったところだろうか。歌詞が特徴的なのも聴けば分かるだろう。シリアスでエモーショナルな音楽はたやすく人を感傷に浸らせるけれども、エロでナンセンスな音楽だって同じくらい人の胸を抉ってよいはずだ。あるいはエロやナンセンスが同程度にシリアスでエモーショナルであるだろうことは、もう当たり前のことに違いない。喚起される感情の方向付けが確定されないというのは、まるで標識のない交差点のようなものだろう。むしろメルクマールがないからこそ、フラットな状態というべきなのだろうか。人は重なり合った状態を認識できないのだから。ゲオルゲは『芸術について』でこう書いている。「我々が欲するのは事件の創出ではなくて気分の再現である。観察ではなくて叙述である、娯楽ではなくて印象である。」セックスがシリアスである限り(時期)において叙情性をもつのは、ゾーエ/ビオスの区分がもつ違和感を示すうえでも正しいように思われる。ともあれこうした倫理的な経験を十代で経験しておけば、人生観は変わるのかもしれない。よく知らんけど。