聞くところ評価の高い『Zhena kerosinshchika(灯油売りの妻)』を観る前に、オムニバス映画『Songlines』から、Aleksandr Kaidanovskyの監督した『For a Million』を観る。ブルース・チャトウィンの思い出に捧げるという一文から始まる(『Songlines』はまさにチャトウィンの遺作の題だ)。荒れ果てた修道院。マリア像の飾られた祭壇のある一室で、一人の修道士が生活に勤しんでいる。外から部屋に戻ると、部屋に女性の描かれた紙片が落ちているのを見つける。最初こそ気にならなかったが、ちぎれた残りの紙片が見つかり、次第に女性の姿があらわになっていくごとに、彼の世界に女性の像がより具体的に幻視されていく。禁欲的な出だしから、身体性への志向が明確になっていき、修道院という舞台装置のなかに退廃的ともとれるフェティッシュを招き入れて、最後に彼女の正体が明らかになることで、カタルシスはついに爆発する。興味深いのはその夢と現の曖昧な描写だ。幻視のさなかにあっては常に音楽が鳴り響いている。これは通常の描写において、四方の森から聞こえてくる鳥のさえずりや葉の擦れなどの自然音が多用されているのと比べて、対照が際立っている。そういえば、菊地成孔がアフロ・ディズニーか何かで「夢には音がない」といった趣旨を書いていた覚えがある。確かに夢には音がない。夢のなかで確かに会話をしていても、そこに音が欠落していることはしばしばだ。つまり、これまで幻視という言葉を用いてきたが、音楽が鳴り響いているあいだのそれは夢ではない点で誤っている。そしてこのことによってドライエルの『奇跡』ほど厳格でないにしても、一つの神性がこの映画のなかに立ち顕れてくるのだ。