basilides2005-10-29

原初への志向に我々はノストスを思っての苦痛で苛む。過去は意欲された限りにおける意味作用に他ならず、その価値とは未だ達成されていない何らかの意味である。確かに意味作用しなければならない、だが過度にではない程度において。重要なのは志向を調整することでなく過去が自らを現前化可能である程度に自由であることではあるが、いかにして過去を責任もって開始するのか。可能性の汲み尽くしを生起させるがままに委ねることは避けなければならない。死ですら出来事として奪い取られているのならば、なおのことである。過去は露呈する、それも露悪的に。現在へ退けられた我々はその余韻の中で過去の目的=終焉を演じ続けなければならない。

哲学は本来郷愁であり、何処にいても我が家にいようとする衝動なのである(ノヴァーリス「断片」)