「ドイツ・青ざめた母」では戦争を通してドイツ女性の気丈さが描かれるも、むしろそれゆえに恥辱にまみれながらも悲壮さが伺えない。70年代の女性運動を牽引したヘルケ・ザンダーらが西ベルリンにおいて第一回国際女性映画ゼミナールを催したとき、その上映基準は「単なる現状の描写を超えて、(変革)を指向する問題の具体化」であった。もちろん当時ではこうした運動に保守層から拒否反応が出ている。女性映画は美学的次元よりも、自らの示す進歩的な堕胎映画を拒否する旧態依然とした支配的な意識との衝突そのものを旨としてきた。ブラームスらは女性運動に直接加担していないとはいえ、それらからの影響は多大なもののはずだ。それゆえに70年代の女性映画作家の自立の志向に沿うならば「ドイツ・青ざめた母」でブラームスは主人公の女性を殺さなけれなならなかったとも思う。その優しさゆえに殺せなかったというのならば、なんとも女性的な理由ではあるが。