basilides2006-10-10

いま、こうして昨日に及ぶ一切は了解的な関わりによってこそ全体ではあったが、変わらず以前に瀕しているようにもみえた。行くほどもなく、弧でなく、左右の消えたはすかいの先で一人、悲しげに疲れて、色彩の貧しさを見下ろしても、新しい眺望を望むべくもない絶望的な高さにおいて、腕を広げた範囲に街はなく、人もおらず、東西に果つ指先から体躯に向かって、ただ距離だけが余っている。指先から漏れる落日の明るさのなかに、四方を周り、地を包ね、ことごとく日の没る方の海、または藍色の海の低さは私の膝丈にあわせてずっと遠くて浅い。その水面の、僅かに小石ほどの重さに破られる一様な薄さは、心にそわぬ息によって波立ちては文字を書き連ねることもはねつけて、何かが起こるという短い断言にも似ていた。手に持つ幾年はめくるごとに散りぢりになっていく。こうして日々を僅かにはぐらかしては、ただ薄明においてのみその輪舞へと誘い、子供たちのすぐれて遊ぶ浜に一人きりだ。一人。このように数によって結ばれる表現はいまの私たちにとって本来的ではないようにも思われた。劇的に欠ける貧しい少女の、あいそめの頃ほど腹々の上に危うげなく上下に積み重ねられたイメージの高さは、夜毎みる煩わしい夢のように道徳に還ることなしには理解が及ばないが、ようやく事実をあてがわれ、まさに表現されるところの現在の近みにたっては、言応ずることが叶わず、それはますます死のような悲哀によってのみ堪えられた。眼窩の深みより湧きあがる戯歌の手応えを舌先に乗せて、腰かけても足が地につかず、巧みに配されて少しもそつのない昂ぶりは、やがて暗い裳裾をひきよせて、浮かぶ指先からひらりと漏れる夜はもう遅く、御身は名によってさえ物悲しい。(basilides「踊り子はよく踊る」)