ローベルト・ヴァルザー「散歩」

わたしは、気持ちのよい、よろこばしいささやかな散歩をしたのだが、それは足どりもかるくこころときめくものとなった。村を通りぬけ、谷あいの小径といったところを進んで森にはいり、それから野原を越えふたたび村にはいって、鉄製の橋を渡ったのだが、その下には幅ひろい、さんさんと陽を浴びた緑色の川が流れており、わたしはその流れに沿って夕方になるまで歩きつづけた。しかしいまは、森のところまで引き返して話をはじめなければならない。というのも、この橋についてはもう少々言及することになろう。森のなかは厳かなまでにしんと静まりかえって、このしっとり濡れた濃緑色の樅の森から抜けでたとき、森のはずれで、木を拾い集めているふたりの子供が目にはいり、その子供たちはといえば、じつに明るい顔、明るい腕をしていた。冬の太陽は、なだらかな丘に、緑の牧場に、黒褐色の畑に、おだやかな金色の光輝を投げかけていた。葉の落ちた黒い樹々が陽光を受けて立っている。そのとき、歩きつづけながらも、べつの新しい子供の顔を見かけたのだが、その愛くるしい顔は私ににっこりほほえみかけた。それから、先ほど述べたように橋にさしかかったのであるが、橋は日ざしを浴びて、金色銀色にきらめき、かすかにふるえていた。橋の下では、川がかろやかにとうとうと流れている。その後、野道のあたりでひとりの女性に出会っているが、愛想よく挨拶してくれたのではっきりおぼえている。そのときこう考えたものだ。「人間のもとにいられるのはなんというたのしみだろうか」と。川の向こう岸には、小高い緑の丘に、家並みが伸びのびと美しくつづき、その窓はおだやかな黄色い微光でつつまれていた。一群の鳥が燃えるような夕映えのなかにはいってきた。わたしは、鳥の群れが消えていくまで目で追った。世界の一面は静まりかえってぬくぬくとほの暗く、他の一面は冷えびえしてほのかに金色に明るかった。そっと、一歩一歩、わたしは先に進み、やがて畑地へと折れた。それから何人かの人たち、夕暮れの影を濃くした樹々の下にたたずむ女と子供にゆきあった。彼らの眼は、ものたずねたげにわたしに向けられた。それからわたしは、広々とした野原にぽつんと一軒立っている家のかたわらを通りすぎたが、その前か横手に、それはかわいらしい、世にもまれな愛すべき古びた庭があった。その小さな庭は、風変わりな幻想的な生垣でかこまれている。いまやわたしの眼には、とつぜんすべてが夢となり、愛となり、幻想と化した。いまわたしが見ているものは、すべて、偉大な、高貴な、かたちをとりはじめた。あたり一面が詩作し、幻想に耽っているようだった。みずからの美を夢見ているように思われた。その土地は、ふかい音楽的な詩作に沈潜しているようだった。わたしは、自分をとりまく美の世界にうっとりして立ちどまり、目をこらして四方を見渡した。もう日は暮れており、すべての緑がすばらしい日暮れのことばを交わしている。色彩はすべてことばのようだ。わたしが足をとめた家の屋根は、ふかぶかと、眼ぶかにかぶった帽子のように、窓まで垂れ下がっていた。窓は家の眼ではなかろうか。いまやわたしは、森の山上高くにかかった弓張り月を見上げないわけにはいかない。暗い地上がこのようにあたたかく、これほど人なつっこく、これほどこころよく静かであり、上空の月が蒼ざめた微光につつまれた冷たい天上の孤独にかかって光りかがやく光景、これをわたしが目にするのはまったくの奇蹟だった。月の色合いは、するどい氷のように冷えきった銀緑色だった。魅惑的な樅の梢の森は、神々しいまでに美しく、名伏しがたいほど黒々と、優美なる支配者、燦然たる月のもとにそびえている。わたしはまたべつの家に通りかかり、戸口には女性がひとり立っていて、かたわらには猫がうずくまっていた。わたしの空想のなかでは、わたしはつかつかとその家にはいり、彼らといっしょに暮らしているのであった。「家々と人間はなんと似通っているのだろう」と、わたしはつぶやいた。ますます暗くなってきた。夕方は神々しく、夕刻になると甘美な哀愁にみちた高貴な教会にいるような気がしてくる。蒼ざめた空に、いまや、火のようなやさしい紅色があらわれた。全天が、幸福のあまり、至福のあまり頬を染めているかのようだった。農夫の子供が褐色の乳牛を追ってわたしのかたわらを通りすぎた。村の子供たちがだんだん暗くなる夕闇のなかからあらわれて、とても愛らしく、こんばんはと声をかけた。子供たちの顔は、みんな、ばら色に燃える夕焼けに赤っぽく染まっていた。もう星が顔を出していた。ちょうどそのとき、道ばたに料亭があった。わたしはなかにはいった。