カントールは死の演劇宣言において曰く「演劇が衰退期に、生きた身体組織の法則に屈したのは、演劇が生の模倣という形式、すなわち生の再現と再創造という形式を受け入れたが故であり、演劇が諸制約から自由になりうるだけ十分に強固で主体的であったとき、演劇は生の人工的な等価物としてあらゆる幻惑の源となる生の文脈から切り離された《既成》の現実を創出する」。こうした《既成》の現実が次第に《定型的》な現実へと変貌していけば、この現実こそが全く異なる意味と意義をもつようになり、オブジェの物理的な現在と活動や行為だけが評価の対象となる現存時は障害となってしまう。それらを脱するにはオブジェと活動や行為から、その物理的、機能的な了解の可能性を剥奪する必要があった。そこで現れたのがマネキンである。カントールは生きた俳優を排除して操り人形の復権を唱えるゴードン・クレイグらを批判する。マネキンは最下等な現実、つまりもっとも控え目で、またもっとも蔑まれたオブジェだけが芸術作品のオブジェとしての特殊性を明らかにすることができるのであり、あらゆるメッセージによる以外に生は芸術のなかで表現されることはないというカントール自身の確信に合致するものでもあった。マネキンは生きた俳優に取って代わるものではなく、死と死者の置かれた運命から出てくる激しい感情を具現化し、それを観客に伝えるモデルとならざるをえない。みずからに固有の歴史的反復の様態に適った固有の表象の設定に従って死を包摂する、そのための条件がマネキン―彼自身の言によるアンバラージュであったわけだ。そしてカントールは劇場を川の渡り場のように〈向こう側〉から我々の生活へいたる足跡―〈移行〉を開示する場とし、死者の様態を装った俳優が観衆の前に初めて現れた瞬間は自身にとって革命的な、前衛的な瞬間に見えると書いている。つまり死と言う事実は十分に演劇的な目的であるだけでなく、各人の世界への登場と規定された最初の系譜的設定を土台にしてことばの世界に割り振られている。