自身に倫理が要求されなければならないとき。
要求される倫理とは「待つ」ということ。そしてそれは必ず届く(届けられる)。
カイヨワは言う。「物事が解き難く錯綜しているものであろうとも、解けるものであるという確信がなければ、思考に価値はない」
この種の倫理を、ただの出来事に目鼻立ちを加える狂った意志だというのならば、そうなのかもしれない。
しかし、ある種の言葉がある特定の時代(時期)においてのみ可読性をもつというのならば、
それまで待ってやろう。悲劇でさえなければ届くのが遅すぎるということはない。
誤配でさえもただの通過だ。望むところに届けられる。これは一つの確信だ。