人間が「遠く」を最初に意識したのは、コミュニケーション(あるいはコンミュニオン)の問題からではなく、獲物との距離からだっただろう。獲物との距離は透徹できるのにも関わらず、獲物との距離は近まらない。
さながらゼノンのパラドクスが活きた時代の話だ。距離を横断するために人間が考え出したのは弓矢であった。やがて弓矢は琴となった。
パスカルキニャールは「『イリアス』では、琴は琴でない。それはまだ弓である」と書いている。
「あたかも竪琴と歌に通じた男が自分の楽器の両端にしなやかでよく鳴り響く腸の弦を引っ掛けると、糸巻きを巻いて音合わせをしながら難なく弦を張っていくように、オデッセウスもまた、ことなげに大弓をしならせた。そして弦を試すために右手を開いた。弾かれた弦は美しく歌い、さながら燕の声のようであった。」(『オデュッセイア』)
折に触れて、キニャールアウシュビッツにおいて空ろな回教徒をガス室まで行進させるために奮い立たせた、音楽の苛烈さを暴いている。アウシュヴィッツでは音楽隊まで組織されていた。
「弓はその張り詰められた弦に死をはらんでいる」と書いているのは『リグ・ヴェーダ』だが、音楽にも死の効用までがあるというわけだ。死というのは、注意が死に向くということだ。我々を惹きつけるより広い領域から離脱させるということだ。
ジョナサン・クレーリーによれば、注意とは「秩序ある生産的な世界を維持するために、他を犠牲にしてひとつの感覚野からいくつかのな内容だけを選択的に孤立させることのできる主体の相対的な能力」である。
これに則れば、音楽は「他の領野を散漫にして、与えるもの以外に余地を与えない一方的な」ものであり、それは「遠く」から、より「近い」ものへの与件だ。
リグ・ヴェーダでは上記の引用箇所のあとにこうも続けられる。「あたかも母親がその胸に子を抱くように」。