笑われるとき、なじられるとき、泣かれるとき、無視されるとき、その時々にあるのは辱めに耐える精神ではない。
あるいは、感謝されるとき、励まされるとき、慰められるとき、気遣われるとき、その時々にあるのは高揚する精神ではない。
本来的に、共に似ているがため、与えられたものを同じように与えることができるにも関わらず、押し黙られる恥じらい。
ひとから笑われるとき、そのひとを笑うことができることを感じられる恥ずかしさ。
ひとからなじられるとき、そのひとをなじることができることを感じられる恥ずかしさ。
ひとから泣かれるとき、そのひとのために泣くことができることを感じられる恥ずかしさ。
ひとから無視されるとき、そのひとを無視することができることを感じられる恥ずかしさ。
ひとから感謝されるとき、そのひとを感謝することができることを感じられる恥ずかしさ。
ひとから励まされるとき、そのひとを励ますことができることを感じられる恥ずかしさ。
ひとから慰められるとき、そのひとを慰めることができることを感じられる恥ずかしさ。
ひとから気遣われるとき、そのひとを気遣うことができることを感じられる恥ずかしさ。
それぞれは衒いなくもとより不快なものだが、嘔吐を堪えても、ひとを動揺させる術を身につけるべきなのだろう。
恥じらいを捨てる作業は、認識の薄片を剥がすことに似ている。