basilides2005-11-09

一度整理しておこう。「夜」の断片の「夜」は「全ての牛が黒くなる闇夜」のことではなくブローデルの言葉による「夜」である。もっともブローデルの規定によれば「夜」とは「東部地中海が歴史のゼロ平面、ないしほぼそれに等しいものに回帰する」ことではあるが、ここでは若干の解釈を違えて「歴史のゼロ平面への志向」を意味する。つまり歴史=意味作用の秩序から離脱した「夜」なのである。人は歴史的存在であり「夜」を生くるモノではない。しかして歴史は人を謀る。世界が現在によって素描され過去によって完成されることを拒否し、世界の中心に固定された視線を外へと向けること。これは世界からの積極的離反ではない。ただ「私が世界に在る」という一点によって世界を希望する、人の悪癖に絶望すべきなのだ。歴史的コードから解放され、世界から放逐された残余=エクストピアを志向すること、すなわち反歴史的な存在=客体を振る舞う一つの作為。

・歴史の真理は究極的にはそれが自然と化すことで歴史としての自己を否定することにある。
・表象から脱却した世界とは、なによりもまず世界を表象する主体であるような神(世界を制作し、維持し、命運化しうる神)のいない世界である。
ジャン=リュック・ナンシー「世界の創造 あるいは世界化」)

世界内価値の後退の着地点はいつでも自然であるか。そして何より我々は隠レタ神を見捨てられるものなのか。


OMAR SOSAの「A New Life」とLoghの「Every Time a Bell Rings an Angel Gets His Wings」を購入。

メモ。三瓶とのコンビは一度バンダイ本社で見ているので別段行くほどのモチベーションはないけども一応。

アテネ・フランセ文化センターにて「心の不思議」鑑賞。