basilides2006-07-03

祝祭に熱い陽は高く掲げられ、狂熱に沸く中央の通りでささやく足許の妙な調べに踊る乳房は折にふれて投げかけられる眼差しも介さず、ただ左右のあいだの区別だけが今もなおみどり児の任意に委ねられている。この道また道も権力を示す線条だ。個人に使役された尺度として、左右の距離だけが時間を残している。つづく広場ではよく話されて歌はない。異なる人的要素の著しい数量が混在するこの場に飽和する精神はそれだけに神の数がことのほか多いことを示していたが、この種の同意はある程度割り引いて考えられた。やがて鳴らされる鐘の音が私の動機を欠いて、空言に身を包んだ為政者に導きはなむけられる祝福の言葉が折々に左右から舞い散り、もう足許を埋め尽くしていた。異土で常になく精神は全体として活動し、人々は集団として自覚し始めていた。歓びは既に諸手を挙げて受け入れられなければならないらしい。私は外に体をすべらせて、闕に立ち止まり、そのすべてを光の加減に帰結して過ぎゆくその時の瞬間を必死に捉えようとしたが、光はことごとく眼の問題にしかすぎなかった。(basilides「亡霊」)