場景

油を注がれる者は湯気だつ腹を抱えて、齢を尋ねるようにして地おもてを向こうに引き始める。やがて上の方に差し出され垂直に積み重ねられたこの手、この手と一つに交じりあってしまった手と手。たやすくこの手を結び付けられ、あたかも手に降るかの息である…

今日会うのは珍しく朝であった。断り岸へとなだれ落ちる小路を駆けのぼれば、向つ峰はたおやかに何某かの鉛筆が進む順序である。海傍でまぶたに埃をかぶった女は見ぬゆえに疑わず、疑わぬゆえにそれは在る。男たちにとってもその際限のない参照は美に応える…

いまかのほへとそのべにたらしてなずみ、 めをふせ、つめではがれおちるひのかさねに、 たちほどけたいきをかかえてひざまずく いま彼頬へとその紅垂らして泥み、 目を伏せ、爪で剥がれおちる陽の畢ねに、 たちほどけた息を抱えてひざまずく

ご覧。広場にあの「女は一人しかいないから、ほら、必ず男が一人しかいないのさ。心持ち曲げた脚の方へ首を傾ける」仕草を繰り返しながら、ご覧よ、という。なるほど、この部屋には二人の女がいるのだから、二人の男がいるのは至極真っ当なことだ、それは。…

交際を泥土にきせしめれば、 咳くおんなの哀しみは、 あられる程度の生得にて適い、 あたかも独自は微笑(えまい)の もれなく部分の一つにさえあった。

一握を砂もて幾舞い知らず、 たま散らす二重の遊絲にて、三歳に寿ぐ丈の髪。 四方は積みわらの外なるべく入日を洗う五尋。 睦月のかさは軒端に彩なし、遠近の斑は七谷端こそ。 哭かしつつ重んもりせる八女の業、埋火の傍は朱の薄様。 冬青は九重の日相にして…

薄暮は常の日に断ち朱面をこそ澪の斑。 並みたち垂る影の折々は骸萎の葉の一群毎。 とぼそけき足の音の佳の来。 上ぬるむ面より際に垂れ曳くまどかなる先触れ。 昨のかげに彩も濃き布く流るる紗よ。 軟風にても熟えて落ちたる背の朱唇かも。 ※かわたれはつね…

想念に遊ばず、夜に目を伏せ、私の足取りは距離を残して世界をどんどんと小さくする。躊躇われたのは、いくらかの家があるほとんど一つの食卓に、目の高さを後景へと退け、片方の部分を―かれと呼び、その視線の外れた一枚、二枚の透過性、あるいは許される限…

地に行き止まる 青 酔え 水辺に 背のほくろ たった一人だけの 息が白く 二歩 なだらかな勾配 許しがたい いよいよ ひばり 語らしめて 手と 手 手 と手 のぞけば 影が小さくなる 小さくない 小さくなった 雨 沈丁花 対になる彼女 誰か 愛さざること ついに 雨…

共時のなかで期待のかたちに拡がる内外へのとりなしを結び被さる土の音が晩い宵闇の果つる高さと等しくなるとき寄る辺に沈む足先にまるで距離が足らずしていま一つの場所に押し黙られねば舌も結わい石さえも語られない。係累はそれぞれに脅かされて私はしか…

それはある日、もしくは夜であらねば。燭台をふり、一人でにこの夜をはじめて、つまづきの石によろける彼女の知らない何らかの理由によって彼女は転がるの人。彼女の、あるいは往々にして転がられるだけの彼女は以下を欠いて、経験しているのはまさに転がる…

乾いて重いばかりか沈む水に息ができず、点いたテレビさえ空がようやく低いのに、私も息だけが白いまま、天井が冷たくて、ちょうど朝なわけだという。まずは花が挿されたので枯れてはいない挿さる花は転がらない限りの硬貨と摘まれている花によって等価で、…

どうしても少女はここにおり、こことは肉体であり、肉体は私で、常に人間だった。ようやく暮れやすい一日で、ここから見える濡れしぶき滲む砂々のうえに、星を追って流れる、同じ原因によって生まれた子供たちの列の先は今宵かなしく見えない。ここに何とし…

子供の時分で、まだ残照をたたえた庭に、口角を広げ、両手を高く掲げて飛び出でて、奥に見える暗い山に、風鈴がひとりでにそっと鳴る。軒先から漏れる蛍光に照り返る、慣れないゴムの臭いに、冷えた水を隙間なく張って、独り、諦観のくだりはそのままにして…

見初められた日のこと あるいは君の名を うすらいも溶ける春の後先に ここはいま少しだけ空が高い 手をのばし 灯りを消しながら 君はそうして久しく微笑むつもりなのか(basilides「一夜」)

いま、こうして昨日に及ぶ一切は了解的な関わりによってこそ全体ではあったが、変わらず以前に瀕しているようにもみえた。行くほどもなく、弧でなく、左右の消えたはすかいの先で一人、悲しげに疲れて、色彩の貧しさを見下ろしても、新しい眺望を望むべくも…

乳房を、三つより少ない、まだ数えられる、乳房を、自ら晒けだす、はだけて、目の前でしか、女どもは、本当に大笑いだ、その滑稽な、お分かりの通り、おがくずを詰めた、かたちを見過ごして、左右に分かれた、ようやく膨らんで、あるいは目を背けて、その顔…

乳房を自ら晒けだす女どもは愉快なことに、その滑稽なかたちを見過ごして、その顔はいつも慈愛に満ちているが、今ここに、塵埃にまみれたその道の片隅、微醺に痴れたか、満面に朱を注ぎ、悲しさの寒さに心をやつして、しどけなく肢体を晒す彼女はそれと見て…

すれ違い。足音。南から。滴。滴。滴。頬張って。曇り。またしても。路地。傘。回る。右に。左に。例えば。哀しい。子供たちは。諸々の。なければ。必ず。彼に。彼女として。一回転。そうすれば。今。今。未来に。願わない。いくつかは。たくさん。どれ。な…

小高く、妊婦の腹ほどに固い春土に突き刺す十字は君を横に支え、上下を縦に支えている。生きている。そんなか細い釣り合いのなかでは二人は愛せず、いきみを惜しんで一つの身振りが否応無しに互いの注意をひいたが、遂に残される者が別れを生きる過程の始ま…

夕暮れではない。午後でもない。誰もいない。誰も踊らない。宙にくゆる紫煙の影に音はすっかり覆われて、立ちのぼる匂いはいち早く色に混じり込む。そこかしこで物自体は苦悶していた。また、それゆえに不動であった。窓の外で降りしきる意味に庭の根空木は…

夜の掟からかけ離れ、部屋に入るなり窓。枯れたベゴニア。その葉ごもりの深き影の跡を風が吹き払い、私をこそ吹き寄せた。窓に世界を領す闇が垂れて、暗さを持たぬ光はなく、奥行きに不均等な光は幅に広く均等に鞣された。私は自分の上に屈みこみ、その沈黙…

祝祭に熱い陽は高く掲げられ、狂熱に沸く中央の通りでささやく足許の妙な調べに踊る乳房は折にふれて投げかけられる眼差しも介さず、ただ左右のあいだの区別だけが今もなおみどり児の任意に委ねられている。この道また道も権力を示す線条だ。個人に使役され…

世界は明るく、ますます遠のいていた。言明されることのできるすべてのことは、あらゆる未来性を剥奪されて、その残滓を人々が我先にと争う。前時代に獲得された習慣や、希望や、感情は埃を被っているか、あるいは絶滅していた。歴史に絶望して人々がそのほ…

巻き垂れて、窓辺は閉ざされたままで、招かれぬ風は季節に似たさざめきを窓の外で不穏に奏でている。不安。それは少なからず外にあるだろう世界の残りの全てより堪え難いもので、内に開かれた窓はそこに固有な外として、薄く、光のなかに経験されていた。経…

一切を許さない独特の黄昏の中に夜毎の帳が音をたてず静かに降ろされた。人がいなくなって何度目かの夜であった。冥福を祈る者さえも絶えた街は身持ちの固い女のようにかろうじてうわべの様相を保つにとどまっていた。往来からは、たまに崩れる壁で悲痛な鳴…