2006-01-01から1年間の記事一覧

私は自称にすぎない。ましてその正当性は主張するほどのものでもない。主体は剥離した時間の余剰な部分で、分裂した二人称として顕在する。あなたは確かに存在する。私はといえば安らうことなくひとりごちて、結局は償えないもののなかで我々は隣人同士だっ…

・ロフトプラスワンにてカミングアウトトークライブVol.36『極上アニメ会』参加。アニメ会の総決算ともあって個人的にはオールナイトでも良かったイベントだと思う。まぁ、曜日の問題もあるのかもしれないけども。しかしアニメ会はアニアニランドが好きすぎ…

存在の継起が自己に対して何ら指示しえないものならば、他者こそが自己を示唆するがゆえに他者を経験することが我々にとっての最大の関心事の一つとなる。なぜならば他者は我々の特殊な契機であり、我々の外では理解されないものだからだ。我々によって他者…

ジョルジョ・アガンベン「残りの時」 戦争においては、敵の都市は力づくで打ち負かされ破壊されて、その住民たちは殺されるか奴隷とされるのかが通例であった。しかし、これとは違って、弱いほうの都市がデーディティオー・イン・フィデム〔敵方を信じての降…

ル・クレジオ「愛する大地」 たまたま地上にぼくは生まれた。生ける人間としてぼくは大きくなった。デッサンの中に閉じこもって日々が過ぎた。夜々が過ぎた。ぼくはああした遊びをみなやってみた。愛された。幸せだった。身ぶりを入れ、わけのわからぬ語を口…

私が予め他者=あなたであるようにそれぞれが私であるところの等しさに加え、他者は私ではないという不均等が私自身の世界観の動機となる。しかし言葉によって置き換えられた私はその点において他者から一時的に勝利を収めたに過ぎない。しかも言葉は事物を…

マックス・ピカートは子供の魂への粗野な闖入を諌めるために以下のような事例をひいているが、このことは子供に限った話ではなしし「死」に対して優れた一つの態度だと確信できる。「語る」ということによってさえも望む事物に繋がれるということを忘れては…

メモ・論理はその人間性から乖離してあるが、言語は人間性に密接であるがゆえに言語と論理の非整合性は狂気を生む。 ・社会的な出来事としての芸術は関心を強いかたちで乞い、要求するが、個人的な出来事としての芸術は関心を方向づける。 ・私は私である限…

一切を許さない独特の黄昏の中に夜毎の帳が音をたてず静かに降ろされた。人がいなくなって何度目かの夜であった。冥福を祈る者さえも絶えた街は身持ちの固い女のようにかろうじてうわべの様相を保つにとどまっていた。往来からは、たまに崩れる壁で悲痛な鳴…

文字を書き留め思考を、のちに反芻して再現させるように、生きることは人であったことを刻み、のちに記憶によって反芻して人であることが確認される。しかし惜しみてもあまりあるが、身体に蝕む生を排すことさえもほぼ無条件に人に寄せる期待を退けるまでに…

・言葉は人の物語によって区切られ、その先天的な知覚障害がゆえに世界は無私のもとで再現される。消費と生成を反復する物語の知覚範囲を超越するもの。それはどうしても在る「だろう」が故に不吉な存在の息吹き。引き延ばされた行間。暴力的な寛容によって…

・思考の固有性を今日的な意味に位置付けるとしても「夜」の後に「朝」が、その後に再び「夜」が訪れるように秩序ある変化こそが自然の節度であり、突き付けられた歴史=善悪の彼岸を転倒させたかたちで、起ち現れる自己を忘却した生の自閉はあらゆる霊的な…