口を噤んで、手梳く背に。 弛んだ陽の暮ればかり。あのささやかなしわぶきが。 上方が手折れてしだかれる、あやす手の結び目。 まみ向け花薔薇の連。豆を噛むひとよ。 とても些細な鳥をあつらえ、恥らいは舌先で垂れる。

はる。はらはら 胎のうえに散って塵としく冠の 螺旋のすべて。

おまえが死んでしまったということは どういうことだろう あの薔薇の籬にもどってくることのないおまえ 世界を盗んだつもりのぼくの手に ひとすじの髪の毛だけがのこり ぼくのものだった時間は すっかりながれだしてしまったただそれだけのことだったろうか …

飢えは人間存在の底辺だ。祈りとは飢えへとへり下る行い。 飢えの底暗さは、存在の虚ろだ。 ウナス王の苛烈な飢えは女子供をも喰らい、猛て世界を喰らいつくさんとして星辰さえもが震えた。 恥じらいの中に飢えは濯げない。 産まれ落ちて初めて与えられるの…

笑われるとき、なじられるとき、泣かれるとき、無視されるとき、その時々にあるのは辱めに耐える精神ではない。 あるいは、感謝されるとき、励まされるとき、慰められるとき、気遣われるとき、その時々にあるのは高揚する精神ではない。 本来的に、共に似て…

贖いは、想起される過去となんらかの関係を結ばなければ可能とはならない。過去との関係は宙吊りの弁証法であるばかりではない。それはソンタグが「啓示の否定的なプロトタイプ」と呼んだ否定的な公現だ。 あらゆるイメージがそれについてしか我々に届かなく…

なんだか楽しい=悲しいので、一人で伊良子清白を詠む。 庵点: けふもひねもすあらしほの なぶるがままになぶられて おきつしらたまさぐりしが あすのいのちとたのむべき えものはふごにみちにたり はまのまさごぢあととめて くもゐはるかにながむれば まづ…

アイロンかけは素晴らしい。それは静かな熱狂だ。冷えた水で醒ますこともできず、ただその熱によって滾ることを目的としている。 アイロン台に向かい、内に溢れる温かさは夢想の喜びを肯定し、その中心には萌芽がある。 ウェルギリウスの『農耕詩』を思い出…

ユベルマンの説くところ、 人は互いに似通っているからこそ、あますことなく人類の咎を引き受けなければならないのだということ。 私たちの、咎の重さにくず折れるための膝だろう。こうべは、垂れるための重みだろう。 身体の深さは、吊られて己の首をへし折…

文字通り何もないところにカメラが動き、モンタージュの要素でもなく、デペイズマンによるイメージの火花でもなく、ただ映画だけが存在できるような、そんな場面がある。それは何も起こっていないという地点に引き戻すでもなく、あくまでも分かりやすさに留…

雨のきわで傘振り放けみれば、一把の小猫が夜の帳をよじ登るのをみた。 夜は弛み、あるいは伸び、裏地を見せて、薄くなり、そして千切れて、暗い細切れはふわりと一番に地おもてが近い。 裂けた夜からは、ありふれた風景の物静かな重苦しさがさらさらとこぼ…

私は過去を顧みる。 私は抑厭せられて、苦しい残虐の中から暗い星穴の過去へと逃れた。 過去を抱こうとしたが、過去も亦ちぢれちぢれの蜘蛛の糸にからまれている。 褐色の煤が玉をなしている。 その過去は細ったなりをしてふらふらと宙に迷っている。 私はそ…

道傍でごみを漁る烏が一羽、鳴くのではなく吠えているのが聞こえた。 それはカール・ソロモンに向けたギンズバーグの一節をまさに吠えようとしている姿だ。 「僕は見た 狂気によって破壊された僕の世代の最良の精神たちを云々」。 どこからか伴奏がつき始め…

人間が「遠く」を最初に意識したのは、コミュニケーション(あるいはコンミュニオン)の問題からではなく、獲物との距離からだっただろう。獲物との距離は透徹できるのにも関わらず、獲物との距離は近まらない。 さながらゼノンのパラドクスが活きた時代の話…

「可哀想(可哀相)」という言葉がある。文字通り、哀しみを共振できるという一方的な台詞だ。 共振でありながら一方的であるというのは、一見、修辞的誇張のようにも見えるが、 それが指し示すのは「共振できる」というものの、互いを分かつ距離に根ざした…

自身に倫理が要求されなければならないとき。 要求される倫理とは「待つ」ということ。そしてそれは必ず届く(届けられる)。 カイヨワは言う。「物事が解き難く錯綜しているものであろうとも、解けるものであるという確信がなければ、思考に価値はない」 こ…

乙女なを言う 行きませ、君、御身の道を。 美しきこの捉われの獄(ひとや)なる吾を措(を)きて、 多くの異郷の国々を旅し、 多くの女等の手をとりて、 なほもし異国の酒が わが唇ほどに甘からねば、 そのときこそは、必らず吾が許に、 再び帰り来ませ、 いつ迄…

存在は分かり合わなければならないのかという話から。場合によっては分かり合いたくない場合もあるだろう。しかし、そんな相手を憐憫でもかけて、切り捨ててよいものか。あるいは、コミュニケーションの不備を認め、かけ違いを引き受けつつ、無限のコミュニ…

油を注がれる者は湯気だつ腹を抱えて、齢を尋ねるようにして地おもてを向こうに引き始める。やがて上の方に差し出され垂直に積み重ねられたこの手、この手と一つに交じりあってしまった手と手。たやすくこの手を結び付けられ、あたかも手に降るかの息である…

今日会うのは珍しく朝であった。断り岸へとなだれ落ちる小路を駆けのぼれば、向つ峰はたおやかに何某かの鉛筆が進む順序である。海傍でまぶたに埃をかぶった女は見ぬゆえに疑わず、疑わぬゆえにそれは在る。男たちにとってもその際限のない参照は美に応える…

Szindbad Szindbad Szindbad Szindbad Szindbad Szindbad Szindbad

信によってそそのかされた身振りはどんなに自分に近くてもなお途上にあったが、ここのところひどくわずかな私は、ときにまるでそこに在るというのと同じようなぐあいにだ。在るというのがいよいよなじまず、ますます口の中には私が残る。理性の発生は、人間…

いまかのほへとそのべにたらしてなずみ、 めをふせ、つめではがれおちるひのかさねに、 たちほどけたいきをかかえてひざまずく いま彼頬へとその紅垂らして泥み、 目を伏せ、爪で剥がれおちる陽の畢ねに、 たちほどけた息を抱えてひざまずく

「わたしはおまえのみごもりの苦しみを大いに増す。 おまえは苦しんで子を生む。 おまえは夫を慕うが、 夫はおまえをおさえる。」 さらに人に言われた、 「おまえは妻のことばを聞き、 食べてはならないと命じておいた木の実を食べたから、 土はおまえにのろ…

昔に返るすべはない、だって?まったくばかげた真実だ。 わたしは後ろを振り返り、涙する 貧しい村々のために、雲のために、小麦のために。 薄暗い家のために、煙のために、自転車のために、雷鳴のように 通りすぎる飛行機のために。子供たちは飛行機を見上…

ご覧。広場にあの「女は一人しかいないから、ほら、必ず男が一人しかいないのさ。心持ち曲げた脚の方へ首を傾ける」仕草を繰り返しながら、ご覧よ、という。なるほど、この部屋には二人の女がいるのだから、二人の男がいるのは至極真っ当なことだ、それは。…

自分は其の手をば女の驚くほど強く握つた後、馳けるやうに其の場を立去つた。 あゝ!何事も知らぬ巴里の町娘! 彼女は愛嬌に、『再び見ん』との意味ある懐しい AU REVOIR の一語を残して呉れたが、この夜を限り、遠く遠く東の端れに行つて了ふ身の上には、Ad…

交際を泥土にきせしめれば、 咳くおんなの哀しみは、 あられる程度の生得にて適い、 あたかも独自は微笑(えまい)の もれなく部分の一つにさえあった。

わたしの息である不在がまたふりはじめる 紙のうえに 雪のように 夜が現れる わたしは書く 能うかぎりわたしから遠く (アンドレ・デュブーシェ「流れ星」)

山川に雲がさして新緑は濛濛としてゐる。人々は方方につどい、大変擾いでゐる。なんと灌漑の行届いた田野であらう。己は松の下なんかに立ちいで、こんな手合と雑談する。珍しい口碑をうつつなに聴く。のッぺりとして表情もなく、己は女を娶ったのだらうか。…